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行きましょう、山へ。 奥秩父縦走編】

みなさん、こんにちは。

山、行ってますか?

僕は行ってます。
 
 
先日、気になっていたあるものを手にいれた。

そのあるものとは、ハンモックだ。

なかなか触手が伸びずにいたけれど、

実際に試してみると、これがなかなかの使用感。
 
山のアイテムを買うと、ついソワソワしてしまう。

じつはこのソワソワがとても大事。

「これで本当に山で寝れるだろうか?」

不安と期待が交織し、まだ見ぬ景色を想像しながら過ごす淡いピンク色に染められた甘美の時間は、なにものにも代えがたい。
 
家の中で使うもの...たとえば絵や写真だったり、よく切れる包丁だったり、植物図鑑のようなものを買ったら家で楽しめるけれど、アウトドア・アクティビティに使うようなものは家の中では楽しめないから、外に出かけたくなる。

そこでまずは「ためしに近場の公園へ」となるわけだけど、ここで問題が起きる。
 
ハンモックを試していると、1時間もしないうちに監視員がやってきた。

話を聞くとハンモックが公園の木に負担をかけると言っている。

僕にはどうしても、その木に致命的な負担を与えているとは思えない。

そこで少し腰を据えて話を聞いてみることにした。

監視員も正直に言うと、この行為が木に負担をかけるとは思っていないが、この行為を全員でおこなってしまうと、結果的に木に負担がかかるということだった。(木登りももちろん禁止されている)

どうやら都会の公園では、木は眺めるものらしい。

監視員は僕に個人的な恨みのようなものはないだろうし、彼が職務として僕を指導していることは理解できたので、素直に彼の意見を聞き入れた。
 
このような全体主義を掲げられると、どうも議論をする気が萎えてしまう。

家に帰り、僕は一人で山に入る理由をもう一度考えてみることにした。
 
やたらと群れたがるくせに自己中心的で、他人を出し抜くことしか考えていない人間社会に愛想を尽かし、山に入っていた時期。

様々な矛盾を抱えながら生きてきて、それらの矛盾を熟考する暇もなく大人になって、最後には矛盾に無関心となり歳を重ねている。

波風を立てずに生きる術は、誰が教えてくれるわけでもなく自分の眼で社会を観察し、その社会と自分自身との距離感の話でもある。

その社会との距離感が上手く掴めないとき。

たまには社会に目を背け、自分という人間をとことん見つめるという行為がバックパッキングというものなのだろうか。
 
自然には社会がない。

かわりに多くの決まりごとがある。

その決まりごとは自分の眼で観察するとよく分かる。

自然の中の決まりごとは「六法全書」よりはるかに緻密で、そしてルーズでもある。

前例がないケースも上手くことが運べば、自然界はどんどん取り入れていく。

自然のルールとは、言わば毎秒アップデートされている「六法全書」のようなものと感じることもある。

盲目的にそのルールに従う人間社会とは明らかに違うリズムがある。

火、水、風。

人が山にはいるときは、この3つを上手に使いこなす必要がある。

火は必要以上に大きくしないし、水も必要以上は持たない。

風は必要な場所に送り込み、必要のないときは遮る。

この3つを尊び、必要以上に大きくしない慎みの気持ちが成功の秘訣。

自然の中で一人はとても小さいし、微力だ。

だからこそ人は、一人ということを考えることができる。

一人の人間に社会は必要ない。

だからこそ人は、一人になったとき社会を考えることができる。

明確な答えは出てはこないが、自然は社会を俯瞰してみるには丁度良い場所であることには間違いない。

そして人はまた、人を欲し、社会を欲する。
 
 
今回は奥秩父縦走を計画した。

熟年ハイカーにはおなじみの場所で僕は火と水と風を尊ぶ遊びを試みる。
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ハンモックの利点は平地を必要としないことが第一に挙げられる。

法面でも野営が可能なので、選択肢が広がる。

自然へのインパクトも少ないのもいい。
 
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焚き火は慎ましく。

煙は熊に人間の居場所を教えるのにも最適。

しかし、山の中で最良の薪を確保するのは思ったよりも困難だ。

そんなときは、目線を少し上げて立ち枯れの木を拝借する。

木が腐敗するときに放出する二酸化炭素の量が、燃焼時と同量だという情報を得てから、焚き火に対する印象が随分変わった。
 
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2泊目の野営。

たったこれだけで人は眠れる。

寝起きは風景に圧倒される。

無数の鳥のさえずりが朝を彩る。

そうか...今日も1日がはじまるんだ。

そんなことを思いながら二度寝もしばしば。
 
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「ミツバツツジ」、「ツクシシャクナゲ」、「コイワカガミ」

人はよく高山植物や少女の美しさを例える形容(形動)として、「可憐」という言葉を口にする。

しかし、ただ姿形が可愛らしいだけで人は「可憐」という言葉を使わない。

その花や少女が、自分の美しさに気がついていない様を、人は「可憐」と呼ぶのではないだろうか。
 
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昼間に月が見える。

たったこれだけのことだけど、ワクワクしてくる。

誰かにこの気持ちを伝えたいけれど、携帯は圏外。

丁度よし。
 
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旧雁峠山荘。

奥秩父にはこういった廃墟になった小屋が目立つ。

奥秩父縦走が流行した70年代は多くハイカーに利用されていた小屋がいまは廃墟になっていることは珍しくない。

三峰神社〜雲取山にある霧藻ヶ峰休憩所、白岩小屋などもそう。

これは装備の軽量化によって以前は要所であった場所も、そうではなくなってしまった。

小屋を積極的に使用していた時代とは明らかに状況が変化しているということだ。

百名山近くの山荘などはまだ良いが、峠などの小屋にこれからどのような変化が起こるか興味深い。
 
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破風山避難小屋。

古い人はこの場所を笹平避難小屋と呼ぶ。

この日は誰もいないので、利用させてもらう。

野営では孤独をあまり感じないが、こういった小屋泊では孤独を感じることがある。
 
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朝起きると、空が澄み渡っていた。

頬に当たる風が冷たくて瑞々しい。

軽い朝食をとり、また歩き出す。
 
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甲武信岳を過ぎてシークレットへ。

甲武信岳は百名山なので、山頂には人が多い。

この場所は道が分かりづらいけど、360°の見晴らしがあって気に入っている。

この日も誰もこない。
 
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川上村へ降りて、先輩に挨拶。

相変わらずの美しい庭にうっとり。

山の植物の話になり、僕がもっと知識を蓄えたいと話すとおすすめの本を教えてくれた。

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昭和の日本植物学者、牧野富太郎さんの図鑑。

植物学では入門書のような立ち位置で幅広い分野の人に親しまれているらしい。

いろいろ試して買ってはみるが、結局はこの本に戻るという話に説得力を感じてカラー版を購入。

これでまた、山に入る楽しみが増えた。
 
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駅まで送ってもらい、念願の小海線に乗る。


今回も十分に楽しめた。

さて、つぎはどこに行こうか。
(H)


行きましょう、山へ。 富士山編】

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みなさん、大変ご無沙汰しております。
遊んでいますか?
僕は遊んでいます。
 
さて、毎年恒例となるGW明けの富士登山。
今回はMPB(Mountain Poor Boys)のお二人も参戦。
以前のメンバーと合わせて計6人で向かった。
一人で山に登るのも好きだけど、こうやってみんなでワイワイするのも好き。
仲間の近況も聞けるし、装備も気になる。
 
装備といえば、今回の装備はこんなラインナップ

ベースレイヤー
(1)シルク100%タンクトップ(BROWN by 2-tacs)
(2)シルク100%ニット(BROWN by 2-tacs)(今秋発売予定)
ミッドレイヤー
(3)オフスケールウール糸100%シャツ(BROWN by 2-tacs)(今秋発売予定)
アウター
(4)メリノ×ポッサム×ミンクニット(MERINOMINK)
アウターシェル
(5)アノラック(MACPAC)
パンツ
(6)コットン×ウール 9ウェルコーデュロイパンツ(BROWN by 2-tacs)(今秋発売予定)
 
ここ最近、山に行くときはなるべく普段着に近い天然繊維を着るようにしている。

ウエストがシェイプされたウェアは、まだどうしても抵抗があるのと、
僕はスタイリストなので山でも自分の気にいった格好をしていたいという理由がある。

僕の好みのタイプは、アウトドアウェアというよりかは
山着という響きのほうがぴったりくる。
 
そういったわけで、テストも兼ねて来季のアイテムを多めに持っていった。

ベースレイヤーにはシルク100%のフライス織のタンクトップに、
シルク100%のインターロック編みのニットを着用。

シルクの肌触りが最高に気持ちよくて、汗の抜けもよく、保温もよろしい。

新作のニットは先染めのシルクスパン糸を2本撚糸したあとに、
特殊起毛をかけてシルク起毛糸を作成してから編み上げている。

通常は、生地を編み上げてからの起毛だが、
糸の段階で起毛を施すことによりワンダホーな肌触りを可能にした、渾身の一着。

メリノウールと比べると耐久性に欠けるし、繊維が細いのでピリングもしやすいが、
この肌触りはやめられない。
 
その上に6色の先染めオフスケールウール糸で織り上げた
ウール100%のチェックシャツ。

ウールの組織はウロコのような形をしていて、
その先が絡まりあうとフェルト化してしまう性質がある。

そのウロコの先端を取り除く加工を施したのがオフスケール。

逆にその隙間を樹脂でコーティングして防縮加工を施すこともある。

この糸の特徴はウールとは思えないほど、
肌触りがシャリシャリとしていながらも、
しっかりとウールの機能を保っているところだ。
 
PENDLETONというオレゴン州のウールアパレルメーカーがあるが、
そのラインナップにSIR PENDLETONというものがある。

このラインはまさにそのオフスケールウール糸を使用していて、
生地の厚さも、ちょうど山旅に適していた。

今回はそのSIR PENDLETONを模範として山シャツを製作した。

そこには「蘇れ!山シャツ!」
といった想いがある。
 
ボトムも今秋発売されるコットンウール9ウェルコーデュロイ(ワイドパンツ)。

最近ではあまり見ることのない、9ウェルという太畝ながらも、
コットン63%、ウール37%という
全国のコーデュロイ・ラヴァーズには生唾ものの混率。

今回の度詰めの硬さ、ウールの風合いのイメージに合う特殊なコットンウール混紡糸は
市場には存在しないため、これを別注するという
なんとも地味な交渉を続けて、やっと完成した思い入れの強い生地。

化学繊維は入っていないが、程よくストレッチが効いていて足も上げやすく
インナーはなにも履かず、ちょうど良い感じだった。

快適さで言えば、もちろんショーラーなどのハイテク素材には及ばないけれど、
これはこれで良いのです。

だって、好きなんですもの。

コーデュロイ。
 
それと今回は義理の親父から譲り受けたかなり渋〜くて重〜い山靴(7)と、
これまた渋〜い縦走用の長〜いピッケル(8)(エバニュー製)。
この2つを富士山頂まで持っていくというのが、
今回の山行の目的でもあった。
 
PHOTO by M田くん
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と、こんな調子で気持ちよく登っていると、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

標高を上げていけばいくほど、風がどんどん強くなっていき、
暴風に変わる。

8合目の小屋の陰に逃げて、カップラーメンを作るが風が強すぎて大苦戦。

この不自由な感じがたまらないけれど、さすがにこれ以上は身の危険を感じて、

多数決で下山を決める。(山道のN目さんだけが行きたがってた‥)

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Jッキー先輩のトラバース。

普段の口調からは想像がつかないほどに、その足取りは慎重。

その後はシリセードを繰り返し、早々に降りる。(僕はやらなかった)
 
天候の荒れた富士山の話は幾度となく聞いていたけれど、

今回はその片鱗を垣間見た気がした。

山頂までは行けなかったけれど、なぜか嬉しい。

それはきっと、また一つ僕たちの力の及ばない場所があるということを

確認できたからだと思う。

ウェアテストの手応えもあったし、もう十分だ。
 
やっぱり山は良いなぁ。

そういえば先日、御年72歳になる僕の山の先生が言っていた。

「いまはアウトドアがブームなんでしょ?きっとこれからの日本の未来は明るいと思うなぁ。だって多くの若者たちが、あの美しい景色を見ているってことだよ」

この言葉が頭から離れない。

さて、つぎはどこに行こうか?
(H)

TFS 10th anniversary 1st thing】

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以前にも書いたとおり、The Fhont Shopは今年で10周年をむかえる。
10周年企画をいろいろと考えた結果「木箱」を製作して店先に設置することにした。
この木箱は海外を旅していると、たまに見かける地域があって、その地域の雰囲気も自分には好みなところが多かった。
どこの街かは忘れたけど、街と人と木箱と天気がうまく混ざり合って、何もかも好みの感じだった。
それを作ろうと思った次第。
...いつもの「虫」が騒ぎだしていた。
 
10年というと気が遠くなるような長さだが、過ぎてしまえばゾッとするほどの短い時間をあらためてふりかえってみると、僕はいつもお店のことを考えていた。

最初の1年間、お店は僕の自己表現の場だった。
その解釈は決して誤りではないが、やっていくうちに徐々に違和感を覚えて
そのうちに少し肩の力が抜けだしてきた。
それから常連ができはじめて、絵を描いている人、立体物を製作している人、ジンを作っている人たちが自分たちの作品を見せに来てくれるようになった。
あまり社交家ではない僕が多くの作家と関わりを持つことができたのも、このお店をはじめたおかげだったし、彼らの作品を興味のある人たちに手渡すことができたのも、このお店のおかげだった。
自分のものだけではなく、自分が良いと思ったものを商品として仕入れて売るという面白みを知ったのもこの頃だった。

売り上げがうまくたたない時には、じっくりと考えてみると必ずいくつかの問題点が出てきた。
あとはその問題点を自分らしく修正していけばいい。
お店は僕にたくさんのことを気づかせてくれたし、たくさんの出会いもくれた。
それと僕と家族とスタッフを食わせてくれた。
 
お店は無限の可能性を秘めている箱だ。
自分がやりたいことを行動に起こしてみると、箱の反響は僕の予想に反することもあったし、予想以上の反響が起きることもあった。
いつからか僕はその反響を自分ではコントロールできないと悟った。
その理由はこの箱にはたくさんの人たちが出入りをしていて、その人たち一人一人をコントロールすることが、この箱の役割ではないと気づいたからだ。
感覚の違う10の人間に同じ商品を売ることよりも、その人たちの琴線に触れるような「何か」を置いておきたい。
この箱を持って、本当に良かったと思うことは、自分が信じたことをやれていることだ。

この箱を借りて「ありがとう」
(H)
 
 
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【The Fhont Shop10周年】

あけましておめでとうございます。(って遅い!)
本年もよろしくお願いいたします。
早速ですが今年の僕たちはちょっと違います。
なにが違うかって、今年はThe Fhont Shopが10周年を迎えるのであります。
10年と一言で言ってもこれは結構な時間でありました。
はじめの1年間は本当にヒマでヒマで、僕なんか店番しながらマブタを裏返す練習をしていたくらいヒマでした。(結局いまもできません)
あの頃はコアなお客さんと、たまに遊びに来る友人たちのおかげでなんとか売り上げをたてていた次第であります。
本当に感謝です。
そのあとは雑誌にお店を紹介していただいたり、商品を掲載していただいたりと多くの方々からたくさんの助力をいただき、なんとなく軌道に乗ったような、まだ乗りきれていないような気持ちでいまに至っております。
ようするに僕たちも、お店もまだまだであります。
でも、僕たちのような未熟で小規模なチームであるがゆえに挑戦できることもたくさんあると僕はおもいます。
「Talking about small business」
何度も言うようにこれからの商いは小さく小さくやっていく時代です。
小さくやればやるほど、規則は少なくすることができて守るべきものも最小限に抑えられます。
僕が代表として守るべきものは家族とチームの生活、つまり僕たちの時間です。
もちろん仕事はお金のためですし、お金がないと困ります。
でもお金をたくさん使わないと時間が過ごせないことがなによりも恐ろしいことです。
そのバランス感覚に富んだ人物が経営するお店がこれからもっともっと増えていって欲しいとおもいます。
いま僕は10周年の企画をいろいろと考えております。
それらは買えるものもあれば、見るだけのものもあったり、おしゃべりだったり、味わえるものだったりと、なかにはちょっと風変わりな企画もあります。
ぜひお楽しみに。
10年間のご贔屓ほんとうにありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

本間良二

【 BROWN by 2-tacs "SKAFER CAP" 】


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「skafer」という言葉をつくったのは20代の後半くらいだと思う。
今ではサーフ&スケートなんて言葉は当たり前だけど、僕がサーフィンやスケートに興味を持った10代のころはサーファーとスケーターの境界線がはっきりと分かれていた。
 
 

(SURF)

僕のサーフィンデビューは14歳だった。
母親の弟(叔父)はハワイでサーフィンをするほどの人で、僕はその人からサーフィンを教わった。
そういえば小学校二年生のとき、その叔父からハワイのお土産でTシャツをもらった。
そのTシャツは白地に襟と袖にネイビーのトリムが施されていて、真ん中にかっこいい強そうなトラのプリントが入っていた。
脳天がひっくり返るほどそのTシャツにしびれたが、当時の僕にはTシャツの襟ぐりから肩がひとつ出てしまうくらいに大きかった。
母親はそのTシャツを家では着ても良いが、外で着ることを僕に強く禁じた。
しかし、僕はTシャツをランドセルに忍び込ませて、家を出るとそのTシャツに着替えて学校へと向かった。
朝礼の時にみんなちゃんとした服を着ているのに僕だけが肩をひとつ出していて、なんとも誇らしい気分になったのを覚えている。
いま思うと、これが僕のファッションへのファーストコンタクトなのかもしれない。
 
叔父さんは千葉でレストランをしていて、僕は中学二年生の夏休みをほぼここで皿洗いのアルバイトをしながらサーフィンを教えてもらった。
最初の海は千倉だった。
離岸流に流されているのを気がつかずに、ずいぶん沖まで流された。
そのときはこっぴどく叱られて、正直こっちも腹が立ったけど、これも子を持つ身になってみるとよくわかるようになった。
でも、中学二年生って自分が死ぬとか、そういうことを全くイメージできない年頃なんだよね。
 
 

それから20年以上もサーフィンを続けているけれど、僕はサーフィンに対して上達という概念が消えてしまっている。
tumblr_nl4lm8O73g1u93xcqo1_500.gif
 
上のGIFは波のメカニズムを表したもので、これを見ると水が動いていないことがよくわかる。
波に乗るということは水によって移動しているのではなく、波動というエネルギーが水に伝わり移動しているのだ。
波のピークを見つけてそれに乗り、眩しく光る斜面をグライドする。
そして、なるべく波打ち際まで乗り継いで、その波動が最後には弾けて無くなるのを見届ける。
かっこよく言うと、僕のサーフィンはその波動との一期一会を楽しむ遊びなのだ。
 
 
(SKATE)

そして、スケートボード。
まず、サーフィンとスケートボードの相違点について。
自然を介して遊ぶサーフィンに対して、スケートボードはアスファルトがないとはじまらない、全く異なるとても都会的な遊びだ。
僕は高校の3年間をこの遊びに費やした。
友達と僕の家でスケートのビデオテープが擦り切れるほど観ては、外に飛び出し夕方から空が白々としはじめる朝までトリックの練習をしていた。
上手い人たちがいると聞くと、新宿(ジャブ池)、原宿(アークティーズ前)、池袋(東池袋中央公園)と、どこにでも行った。
このときに僕は多くのスケーターと知り合って、彼らの多種多様なスタイルを目の当たりする。
オーリーがとにかく高い(背が高い人多し)、トリックをマシーンのようにこなす(小柄なニュースクーラー)、怯むほどの高さのステアを鬼プッシュでメイク(ドカン系)、と、ここでは書ききれないくらい様々なスタイルがあって、みんなとにかくクールだった。
その当時スケーターはファッションとしても注目されだしていたが、コアなスケーターたちはスケートもしないファッションだけの連中を「ポーザー」と呼称し、馬鹿にしていた。
いまや街中に「ポーザー」が溢れている現状をみると、ずいぶん時代が変わったなと思う。
彼らの目利きも半端なくて
「あの駅のハンドレールはいけそうだ」
「あそこの縁石は調子良さそうだから、ワックス塗っておいた」
と、街全体がスケートスポットとなっていて、いつしか僕の視点もそのようになっていた。
スケートボードは街で仲間と出会い、街で遊ぶ「ストリート」という概念を僕に植え付けてくれた。
 

 
 
 
 
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クラウンはウールメルトン、ブリムはカウレザーの異素材を組み合わせ
"BURGUNDY"にはキャメル、"OLIVE"にはチャコールの配色にした
6パネルのベースボールキャップ。
 
 
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サイズは"One Size Fits All"
 
 

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No. B16-C001 "SKAFER CAP"
Crown: Wool 100%
Brim: Leather
Col: Burgundy( O.S.F.A. ) , Olive( O.S.F.A. )
Price: ¥13,000-(Plus tax)
 
 
(SKAFER)

サーフィンとスケートは同じ横ノリ系のジャンルとして括られることが多いが、じつは全く違うカルチャーだというのが僕の見解だ。
サーフィンとスケートを通して、自然と都会を行き来して遊ぶことを学び、そのふたつのスタイルを混ぜて成熟した新たなスタイルを僕は求めている。

(H)


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